「池のかめが顔をだして潜る」 2022|粘土、庭の土、枝、紐、張り子、木材、麻袋、トロ舟、水、ペール缶、ボウル、ロープ、スコップ、霧吹き、手袋、刺繍、アクリルプリント
私は、日常のあらゆる状況が誰も気づかないようなゆっくりとした速度で変化し続けているということ、そして人間を含めた生き物がその中でどう時間を過ごすかということを、作品において凝縮し、再現しようとしています。また、そこで感じた共通するある時間感覚のようなものを捉えようとしています。今回の制作を通して考えた出来事について、少し述べてみます。
1、池
私の家の近所に、ため池があります。そこは丘を上る途中の静かな場所で、一見変化のない景色は静止しているかのように感じますが、実際には池に映る雲は動き、水面は時折、かめや鯉、釣り人の垂れた糸によって小さく波打ち、微かな変化が続いています。私はそうした時間の流れを確認するためによく池に行きます。
2、せんの手間
昨年の夏に対馬で制作をして、「せんだんご」という対馬の発酵食品に出会いました。「せんだんご」とは、さつまいもを切って干し、二度水につけ、でんぷんを取り出し乾燥させた保存食品です。せんだんごを作る工程は半年にも及びます。実際にその手間の数々を知り、本当にその工程は必要なのかと思う程の大変さでした。しかし、対馬で今もせんだんごを作っている人達がいて、私も実際に教えてもらい、体験をしました。せんだんごと向き合っている時間は、不思議と池に行った時と似たような感覚がありました。
日常の小さな経験の中に、大きな時間の流れのようなもの、もしくは全然関係なさそうな物同士を繋げる法則のようなものが見え隠れすることがあります。私の制作は、身近な所からそうした要素を引っ張りだし、その感覚がどこから来ているのか確かめたり、関係をもっと詳しく探したり、反対にそれに背いてみようとする、といった確認作業なのかもしれません。それは、動く雲が映る水面にかめが息をする為に時々上がって、そしてまた水中に消えることと似た、ごく当たり前の営みで、私は作品を通して、どのように生きている間の時間を過ごすか、という生きる態度のようなものを探っているのだと思います。
制作協力:足立雄亮、黒田大スケ、小岩井琳太郎、別府充貴、吉浦嘉玲(敬称略)
京芸transmit program2022 展示キャプションより